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世界文化遺産 5時間コース 

金閣寺・龍安寺・仁和寺・二条城

臨済宗相国寺派鹿苑寺 (金閣寺)

正式名称を鹿苑寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれています。

 元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたと言われ、有名な一休禅師の父である後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した舞台で、この時代の文化を特に北山文化といいます。義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられました。


臨済宗妙心寺派大雲山龍安寺

細川勝元が宝徳2年(1450)に徳大寺家の別荘を譲り受けて建立した禅宗寺院で、方丈南側に枯山水庭園(史跡及び特別名勝)として名高い石庭がある。三方を築地塀で囲み、東西25メートル、南北10メートル余の長方形の白砂の庭に15個の石組が点在する。作者は不明で作意には諸説があるが「抽象造形の極致」として評される名園。


真言宗御室派総本山仁和寺

宇多天皇が仁和(にんな)4年(888年)に創建して以来、法親王が住持し「御室御所」と呼ばれました(御室とは、「皇室の住居」の意味)。朱塗りの中門(重要文化財)をくぐると、御所の紫宸殿を移築した金堂(国宝)の他、五重塔(重要文化財)や観音堂(重要文化財)等が見えてきます。

門跡寺院として格式が高く、また、「徒然草」「方丈記」など古典にも数多く登場します。境内(史跡)の背丈の低い桜は「御室桜」(名勝)として有名です 。





元離宮二条城

二条城は1603年(慶長8年)、江戸幕府初代将軍徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするため築城したものです。将軍不在時の二条城は、江戸から派遣された武士、二条在番によって守られていました。

3代将軍家光の時代、後水尾天皇行幸のために城内は大規模な改修が行われ、二の丸御殿にも狩野探幽の障壁画などが数多く加えられました。壮麗な城に、天皇を迎えることで、江戸幕府の支配が安定したものであることを世に知らしめたものです。

1867年(慶応3年)には15代将軍慶喜が二の丸御殿で「大政奉還」の意思を表明したことは日本史上あまりにも有名です。

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