泉涌寺・雲龍院・東福寺・今熊野観音寺
御寺泉涌寺
泉涌寺とは、真言宗泉涌寺派の総本山で、皇室との関わりが深い御寺(みてら)です。建保6年(1118)に当時の開山である俊芿(しゅんじょう)律師に仙遊寺が寄進されました。
この時、境内に新しい泉が涌き出たことにちなんで、泉涌寺と改名されたと伝えられています。
泉涌寺別院 雲龍院
御寺泉涌寺の別院。山号は瑠璃山。
南北朝時代は北朝の後光厳天皇の勅願により、竹巌聖皐を開山として応安5年(1372年)に龍華院と共に創建された。後円融天皇、後小松天皇、称光天皇など皇室の帰依を受けて発展したとされる。文明2年(1470年)には応仁の乱の余波を受けて全焼し、後光厳天皇、後円融天皇の尊像を残すのみとなるほどの被害を被った。
勅願の寺院で皇室との縁の深さから、他の塔頭と同じく泉涌寺山内にありながら別格本山という高い寺格が与えられている。また、霊明殿には北朝歴代天皇の御尊牌が奉安されている。
臨済宗東福寺派大本山
臨済宗東福寺派の本山。摂政九條道家が聖一国師を開山として菩提寺建立を発願、1236(嘉禎2)年4月2日(鎌倉時代)より19年の歳月をかけて1255年(建長7)に七堂伽藍を完成。京都五山の一つ。「東福の伽藍面(がらんづら)」とまでいわれ壮観を極めたのが、度重なる兵火と1881年(明治14)の失火で仏殿、法堂、庫裏などを焼失、以後、逐次再建してきました。
禅宗伽藍を代表する室町最古の三門(国宝)をはじめ、浴室、東司(便所)禅堂(いずれも重文)など室町時代の禅僧の生活を知る上で貴重な建築が残る。境内の通天橋は紅葉の名所。方丈の周囲に枯山水の庭園、龍吟庵国宝方丈は現存最古の方丈建築。
第十五番 新那智山 今熊野観音寺
泉涌寺の境内にあり、西国三十三所第十五番札所。弘法大師が十一面観音像を安置したのが始まりと伝えられます。不動明王や毘沙門天の信仰もあり、頭痛封じ、ボケ封じと頭の観音さんの寺として古くから民衆の信仰を集めています。
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